日本における薩摩芋の由来と飢饉/戦争


https://www.maff.go.jp/j/agri_school/a_tanken/satu/01.html

日本における薩摩芋の歴史は、馬鈴薯〜じゃが芋400年前〜と、ほぼ同じ時期の江戸時代の九州に遡ります。薩摩藩の名前がついて居ることからも類推出来ます様に、薩摩藩から広まったとされます。ルーツを辿ると中米のインカやアンデス地域から欧米を経て、東南アジアや東アジアまで渡来したとされますが、事実は東南アジアや中国南部などでも古くから主食であったか、種類を広げれば芋文化の内でも熱帯地域を好むだろうとされる薩摩芋は、南の湿度の高い地帯では早くから栽培の対象だったとも考えられます。日本で、特に広まって行くのは痩せた砂地でも育つと言うので、有名な青木昆陽氏が、食糧飢饉の際に千葉九十九里浜から、砂地の作物として紹介して歩くのです。千葉では特に私の故郷の幕張においても小学校から中学まで、今でも彼の遺行に対する感謝と言うのは、校歌でも歌われていますね。更には昆陽神社でも彼を祀り、薩摩芋に手を合わせます。日本の貧しい生活を当時の度重なる飢饉や戦中に助けた薩摩芋は、有り難さが身体に染み入る食糧の一つとしての象徴されるのです。上記の図解は、記載のHPサイトの農林水産省の資料より。

’24年のファームの作付けの種類

’24年の初めてのじゃが芋跡地に植え付けたさつま芋の種類は、近くの農産直所で、一束ずつ手に入れた①千葉紫パープルスイート、②紅はるか、の40本です。上の写真は、そちらをゆっくりと空間を開けて植え付けた時期のものです。その後には、先に予約注文をしていた国華園さんからの苗③紅はるか、④安納芋、⑤シルクスイートの人気のある三種類を10本ずつ30本足しました。その写真が掲載の2枚になります。今では先に植え付けた千葉紫が繁茂して、八千代の土地柄からも、やはり、時期に近くの農家さんの苗を手に入れるのが、お安いだけでは無く、土壌にも合い、送料も掛からないと考える様になりました。また、更には先に入れたさつま芋の苗から根が出始める時期には、苗を更に作る事で作付け面積を倍にする事も可能です。その方法で無いと生産高に対する苗代が上がる中で、コスパの高い実利的な野菜作りを続けるのが難しいと知りました。今年は味比べをして、来年の学びと生産に繋げます。

‘24年のさつま芋パープルスイートのハイジロールブレッド

ファームのフロンティアのさつま芋の苗は60本4種類でしたが、見事に店舗では出せない少量の生産高でした。今年はじゃが芋もさつま芋も、段々と高価になる筈です。

我が家で消費が終わる位の少ない生産高/来年撤退を決めた芋


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