馬を好きになる時期に仕事へ


人にはそれぞれの成長があるかと存じますが、動物と触れ合う事が自然と出来る時期が来たのはやっと40歳代になっていました。勿論、競馬場には幼少の頃から、また引き馬にはしばしば乗ってました。先に、ダイビング🤿のライセンスを20歳代で偶然の旅先でドボンと沖縄の海に放り込まれる前にスーツを計測され、色を決めてライセンス取得先のショップに案内されていました。宮古島の海はまるで竜宮城の様に美しく、全く後悔は有りません。その後に三点セットからダイビング用の機材全てを揃えて勤務先のダイビングクラブにも入部しております。潜る先は10m程度からの訓練が近くで可能な真鶴や静岡県での徒歩で海に入る様なダイビングです。沖縄の海とは違い、美味しそうな魚やイカ🦑達が、ソフトコローラルや砂地の中を泳いでました。⤵️

伊豆半島の富戸のアオリイカの産卵イメージ〜ダイビング
沖縄県宮古島の写真スポット🤳とダイビング🤿
沖縄の竜宮城のインギャでは様々な熱帯魚が生態

以下は、宮古島の観光協会よりサイト情報です。ダイビング🤿はおろか、テニス🎾を少し、校庭に水を張り氷を滑るフィギュアスケート⛸が好きだった母に何度かスケートリングに幼い頃から連れて行って貰いましたので、大学ではフィギュアスケート⛸部と華道部を兼部して、他の超大学活動をしながら過ごしてます。余りお金を使うテニス部🎾等のスポーツには手を出さなかったです。ダイビングライセンスを取得して、100本弱潜る迄になるには、初めの宮古島での一本目のあまりに素晴らしい光景の印象が強かったです。上記の写真🤳はダイビング🤿のライセンスを取得した沖縄宮古島の海🏖です。昔はハイライトスポットが沢山有りましたが、今は宮古島でもコローラルの白色化や以前の海の潜りの拠点から離れた場所が開拓され、伝統的なスポットが残るのは『通り池』や洞窟など。インギャービーチの初回のダイビングで竜宮城の姿を見て直ぐにノックアウト!更にはグルクン見つけたら釣り竿🎣も垂らして、夜は板前さんの料理でお通り大宴会が出来るなんて元漁業権があるショップだけです。ご紹介とクルーザーを持ち、狩俣に大邸宅を構えるDADとMAMの別荘🏡ご招待に感謝でした🥲。また、クルーザーの乗組員の比嘉さんには、石垣島の叔父様をご紹介頂き、本当にご家族ごとお世話になりました。石垣島の紫珊瑚も素晴らしい🪸‼︎⤵️

沖縄名物のグルクンの大群のイメージ画像より
石垣島に当時は大量発生していた紫珊瑚🪸イメージ

宮古島観光協会のHPサイトより⤵️

https://miyako-guide.net

沖縄が仕事になった日々の充実

沖縄の宮古島から始まるダイビング🤿は、その後も大好きになった宮古島を中心に、真鶴や富戸など伊豆半島と、海外ではボルネオ島の国立公園でも機材抱えて渡航し、優雅な海亀と一緒に泳いだりと続きます。ところが、私の鼻の粘膜に軽いアレルギーが有るらしく、当初から耳抜きと言う海の圧力に身体を合わせる際に鼻血🩸が出るので驚かれましたが、それだけではなく歯科🦷矯正をしていたので、ブレスと一緒に酸素ボンベを咥えるのは少しキツかったですね。機材は軽くてお気に入りを揃えて、知り合いのアドバイスを聞きながら、沖縄を旅して文化や料理も大好きになりましたね。3Dを浮遊するダイビング🤿の世界観と感覚は、熱帯魚🐟を見たいと言うだけでは無く、不思議な空中を浮く感じ、人魚🧜‍♀️の世界です。その3Dの世界を馬🐎で体験出来たのは、また素晴らしい経験になるのです。肺呼吸で浮く、しかし、転職前に沖縄本島に長く滞在した際に潜り吐いた事から、ゴルフ⛳️とターフに移りました。ダイビング器材🤿はショップに売却して、スノーケルだけにする決意です。

それから数年間は、偶然ですが、仕事で海外からのゲストの方々を沖縄のオペラ監督の舞台で公演活動を総合的にコーディネート。次には、竹富島の街造りの会議のフィールドワークの案内地として、2週間の事業の中で、沖縄が訪問先になるプログラムの企画をアテンドする際にも既に土地勘が有り、迷いが無い楽しい仕事になりました。

https://www.city.nanjo.okinawa.jp/sugarhall こちらは沖縄の南にある有名なシュガーホールのHPです。

途中でホール監督の直感で会場を点灯して、舞台と一体化の素晴らしい盛り上がりのまま、コンサート後の余韻は、三線でエントランスでの交流会と合同演奏でした。ワークショップ先でも神がかりしそうな沖縄の娘さんの踊りや舞を観ながら、プロダクションのスタッフと〜凄いわね。あの子も絵になるだけで無く、天地を結ぶタレントの高みが有るなぁ〜と言う話していました。音楽や芸能の世界で活躍する沖縄県人には独特の極みが幼少から有る様です。以下の沖縄の国立劇場では組踊り他の伝統芸能が堪能出来ますが、市場や民家で聞く三線の音や踊りと歌もまた楽しみです。⤵️

https://www.nt-okinawa.or.jp

竹富島と言うのは八重山でも、星の砂のビーチやマンタの通り道で有名ですが、他にも御嶽を中心にした街造りを町起こしにされていますから、芸能館だけでなく、オレンジ色の瓦屋根に漆喰とシーサーの街並みも、まさに沖縄の原風景の様でしょう。⤵️

星の砂海岸のカイジビーチ〜出典skybeach空より

馬との関わりは父から来た⁉︎祖父から来た⁉︎

幼少の内に幼稚園児にも上がる前から、生まれ故郷の神奈川から、大井競馬場🐎に限りなく近い立会と言う地域に都心へと移り住みました。アパート暮らしとは言え、ずっと部屋数も増えアメニティやサニタリーも有るしっかりした住居に、時々、羽田国際空港から飛び立つジェット機の音が聞こえたものです。未だ成田国際空港が開港する十何年も以前ですから、1ドル=360円の時代に飛行機✈️を使う方々は大規模企業の役員や駐在員でしょうか?後に父も、中近東のイランへとこの羽田空港より、何度か駐在三年間の往復に旅立つことになるのです。さて、その立会に住んでいた際の休日には、家族のレジャーはしばしば今の東京シティ競馬、バブル前後にはトゥインクルレースを流行らせて、女性も家族もカップルも行き易いクリーンで、生き物達と触れ合う事ができる子供にも楽しい遊び場でしたし、今はもっと華やかでお洒落なスポットにもなりつつあります。当時の記憶では、ガチョウ池が有り、引き馬🐎が居て、父が時々は重賞レースに掛けていてレースそのもの馬🐎達の活躍も楽しみでした。⤵️

重賞レースG1グランプリのイメージ

以下は当時の大井競馬場🐎今の東京シティ競馬の公式サイトです。ご参考下さい。⤵️

https://www.tokyocitykeiba.com/race/grade_race/2024-06-05

乗馬🐎へと続く。


コメントを残す